明日も暮らす。

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シンプルで暮らしやすい生活を目指しています。オンライン英会話(英検1級)と空手(黒帯)が趣味。大学院博士課程修了(人文科学)。2児の母。

育児ポートフォリオを見返してみて。

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育児ポートフォリオをつけ始めて、7回になりました。

今までどんなことを書いてきたっけなーと見返しながら、

気付くことがありました。

 

第1回は2月16日に書いたので、ほぼ半年前です。

 

見返してみて、第一に感じたのは、娘の変化です。
ポートフォリオを始めた頃(2016年2、3月)に比べて、午後の時間を、機嫌よく過ごせるようになってきたような気がします。
娘の、からだ・ことば・こころの発達と、それに伴う安定があるのかな。

娘自身、自分の成長を確かめているような気がします。

赤ちゃんの頃の写真をたびたび見たがって、

「赤ちゃんのとき…していた?」と私に聞いたり、
「お姉さんだから~するの」「赤ちゃんだから~なの」を使い分けて、

”お姉さんへの階段”を一歩ずつ上っているのを感じます。

 

そして娘だけが変化したのでなく、私の状況の安定も大きな変化だとと思いました。

実は、仕事をしていた頃は、夜になるとほんとーに疲れ切ってしまい、夫に娘を任せて先に寝ちゃうことも多かったんです。

 

最近は、ちゃんと娘が寝たのを、私が見届けることがほぼ100%できるようになりました(ってそれ、当たり前か・・・)。


それに従って、夫と娘との関係も良好化してきたように思います。

「パパ、いや!」はもうほとんど聞かれないし、

むしろ積極的に「パパがいい!」と言うこともあります。


・・・キーパーソンは私?でしょうか?

 

私の力が抜けてきたのでしょう。

退職したこと、

そして、保育の勉強を始めたこと。

 それによって、

野菜嫌いや、やや怒りんぼな性質など、どうしたものかと思うことはあっても、

娘を受け止めよう、ありのままで受け止めようと思えるようになりました。
そういうふうにしたことで、娘のかわいさややさしさ、おもしろさを味わえるようになった気がします。


あと、自分の性質として、結構、怠惰な面があることに気づきました。

勤勉でまじめなタイプと思っていたけれど・・・のんびりぼんやりも好きです。

怠け者で楽したがりな面も見えてきました。


ちょこちょこと気が向いたときに本を読めたり、部屋のインテリアや片づけを自分のペースでできれば、上機嫌でいられるようです。

些細なことなんですけど、育児をしていると、こんなささやかなことさえ実現がすごく難しくなることなんですよね。

 

それから、育児ポートフォリオで、毎回自分自身に尋ねてきた「どんな母になりたいか」は、


第1回(2016-02-16

クリエイティブな母

第2回(2016-03-06
心身ともに健康な母

第3回(2016-04-04
いつも変わらずそこにいる母

第4回(2016-05-09
健康におおらかに

第5回(2016-06-06
楽しく娘につきあえる母

第6回(2016-07-08
大きな声を出さない母

第7回(2016-08-06
自分の楽しみをコツコツ進める母

 

と書いてありました。

こうやって通してみてみると、母親としての役割を通して、私は新しくこういう人になりたいんだな、というのが現れてくるようです

仕事をしているときだったら、仕事の上での有能さを追い求めていたので、

「健康でおおらかに」とか「楽しく娘につきあえる」といったことばが自分の目標として上がってくることは、想像できないことでした。

 

以前ブログに引用した、

「自分なりに打ち込んだ生活を築き、そこに必然的に絡まる社会的な問題にも立ち向かっていく迫力」ということば(毛利子来『新エミール』p.156)の前半、

いまの自分は、”自分なりに打ち込んだ生活”の中にある、母としての自分のアイデンティティを、見出そうとしているのかなと思いました。

 

私は生来の子ども好きではなくて、

身近に小さな子どもを世話した経験もなくて、

自分の子どもを育ててみて初めて知る子どもの世界のなかで、

母としての自分を探そうとしているのだと思います。

 

娘を出産するまではケア責任もなく、自分の時間をフルに使得ることが出来る立場で、仕事を通して社会的な問題に立ち向かおうとしていました。

これからのしばらくの時間を使って、母親としての自分のアイデンティティの模索に引き続き、社会的な問題にどこまでコミットできるのか、考えていきたいと思います。

 

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© 梅つま子