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明日も暮らす。

小さな生活改善を愛する、梅つま子の日記です。

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クリスマスプレゼント問題、いちおう終結編。夫のクリスマス体験と、夫が娘にあげたいもの。

このところ考えている、プレゼント問題の続きです。

 

umet.hatenadiary.jp

いろいろ考えた結果、3歳娘のプレゼントは、アナ雪DVDにしたのでした。

 

クリスマスプレゼントのことについて夫と話していた時のこと。

夫のクリスマス体験をいろいろ聞けました。

 

夫は、ずっと欲しいと言っていたもの(おそらく、プラレール的なものだと思われる)を買ってもらえなかったのに、きょうだいは買ってもらっていたのがショックだった記憶があるそうです。

それは、ちょっと、いや、かなり悲しい。

 

その一方で、

とあるクリスマスにもらったプレゼント(図鑑のような本だったそうな)に、自分の好きな種が載っていなくて、そのことに文句を言ったら、

お父さんが、

「よし、お父さんはサンタさんと友達だから、電話して取り換えてもらおう」と言ってくれたことがあったそうです。次の日に、別のプレゼントが届いたそうな。

その時は夫、お父さんに対して”すげえなあ”と思ったそうで。

これはステキな体験ですね。お父さん、年末で忙しかったと思うけど、機敏です。やるなあー!

 

クリスマスというのは、良くも悪くも、いろんな記憶が残りやすいものなのだなあと実感しました。

 

そんな夫には、娘にあげたいものがありました。

それは・・・メルちゃんセット!

メルちゃん お人形セット おしょくじ&おせわセット (人形付きセット)

メルちゃん お人形セット おしょくじ&おせわセット (人形付きセット)

 

 

えー・・・。

またずいぶんデラックス(我が家比)なものを!

メルちゃん、デパートのおもちゃ売り場に行くたびに、ずっと遊んでいるのですよね。

でも、娘は「欲しい」と言ったことはないので、”メルちゃん=デパートで遊ぶもの”、と認識しているのかな、と私は思っていました。

 

夫は、娘との遊び(幼稚園ごっことか)の中に、メルちゃんを取り入れて一緒に遊びたいんだそうです。

そして私も、ちょっとメルちゃんの服作ってみたい。(^。^)

・・・というわけで、急きょ、メルちゃんを我が家にお迎えすることになりました。

 

とはいっても、

メルちゃんとアナ雪のDVDを同時にあげたのでは、メルちゃんに軍配が上がる気がする。

 

クリスマスの朝、メルちゃんとDVDが娘の枕元に並んで、

気づいた娘が、メルちゃんにだけ関心を示して、アナ雪DVDは放っておかれたら、私ショックだよ(;´Д`)

 

というわけで、

アナ雪DVDは”クリスマスプレゼント”、

メルちゃんは、”特にクリスマスではないけどもプレゼント”、ということになりました。

何というか、クリスマス前にボーンと大きなプレゼントをしちゃうのもどうかと思いますが。

我が家の、このゆるさよ(;_;)

 

まあでも、息子が来てからの日々、ぐずぐずもグダグダもたくさんあるけど、

娘は変わらずに元気に毎日過ごしているんだから、そういう、サプライズ的な、ボーナス的なプレゼントが娘にあってもいいかなと思いました。

 

 

 

何はともあれ、この一連のクリスマス問題を通して、

私にも、娘にあげたいものがあるように、彼は彼の基準で、あげたいものがあるんだよね、という当たり前のことに気づきました。

ついつい、いつも自分の基準で考えてしまいがちだけど、親としての夫の気持ちも、私と同じくらいあるわけで、大事にしないとなと思った次第です。

 

 

今回は、あーでもないこーでもないといちいち悩んだクリスマス前でした。

そのうち、子どもたちには、サンタさんに何をお願いしたいの?と直接聞くようになるような気がします。

その一方で、親からの押し付けかもしれないけど、私自身が子どもたちと一緒に楽しみたいものや味わってほしいものも、プレゼントしていくことはあるような気もします。

 

なんでかというと、私にも、”特に欲したわけじゃないけどもらってうれしかった”という経験があるからです。

本の記憶が多いのですが、母がくれた本や図書館で借りてきてくれた本で、自分ではまあ手に取りそうにないチョイスなのに、なぜか面白くて心に残っているものが多いので、そう思うのかもしれません。

またそういう本たちというのは、その時は「ふーん」程度で受け取って、それなりに読むんだけれども、後になってまた読み返したくなるものなんですよね。

プレゼントにも、即効性と遅効性のプレゼントがあるということなのかな。

 

それにしても、
クリスマス問題のもやもやとは、
よそはよそ、うちはうち、とは割り切れても、
肝心の、”うち”のなかでの基準がまだできていないことへの焦りというか、つまり自分自身へのもやもやなのかもしれません。

こういうのは、子どもが育つとともに、やがて確立していくものなのかしら?

 

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