『それって、必要』の読書記録、今回は後編です!
よろしければ前編からどうぞ~!
お片づけ中、段捨離中の方も、そうでない方も、おつきあいいただけたらうれしいです。
モノを捨てるための心構えだけでなく、生活の仕方、時間の使い方、考え方にまで届く本でした!
たくさんの気づきをもらえました。
マルチタスクに酔っていた自分に気づく
突然の告白ですが…、
私は、学生時代から時間に対して貧乏性なところがあり、マルチタスクが大好きでした。
仕事をしている頃は、保育園の送り迎えで仕事ができる時間が少ないことで、さらにマルチタスクの傾向に磨きがかかり、職場に着くなりパソコンを2台同時に立ち上げて作業していたこともありました。
そのパソコンの前で海苔巻きを食べることもしばしば(お弁当を作る余裕がなくて、太巻きを持参していました…)。
今考えると、なんという心の余裕のなさ!
でも、その必死さに酔っている自分がいたような気がします。
マルチタスクをすると、脳の報酬系が活性化されドーパミンが出ることがわかっています。ドーパミンが出ると人は快を感じます。
(中略)
マルチタスクをしている人は、生産性が高いのではなく、単に自分は仕事ができる人だ、という自己満足を得ているだけです。
ぐさり、ぐさりとささりました。
そう、短い時間でいろいろやってる自分!と思い込みたかっただけなんですね。
限界までがんばってる、私はよくやってる!と思いたかった。
この部分の引用、続きます。
マルチタスクはいつも未完了のことを抱えているわけですから、脳にとってストレスになるのです。
(中略)
人の「選択するエネルギー」は限られています。細かいことをごちゃごちゃ選択している間に、もっと大事な選択をするエネルギーが枯渇してしまうのです。(p.133-134)
効率性(efficiency)ではなく、有効性(effecitiveness)を心がけたほうがいいのです。この二つの意味は、文脈によって変わりますが、簡単に言うとこうなります。
効率性は単にいろいろなことをたくさんやること。
有効性はたいせつなことをやること。
何でもたくさんやるのではなく、やるべきことだけをやればいいのです。(p.137)
パソコンの2台使いも、お弁当の代わりの海苔巻きも、苦心して編み出した方法ではありました。
でも、マルチタスクして苦心して作り出した時間で、一瞬の快楽を脳に与えつつ、大きなストレスも同時に与えていたのかもしれません。
実は、退職した今でも、いかにマルチタスクするか、を考えることは割と好きなのですね。
目の前の小さなことをどんどん平行してこなすことに喜びを感じてしまっている自分に気付かされます。
なぜって、今こうやってブログを書いているときでさえ、いろんなことが気になって仕方ない!
マルチタスクの楽しさを感じる脳の仕組みからは、まだ抜け出ていないみたいです。闇が深い…。
それって、自分がいかに大切なものを見誤りそうになっているか、にもつながる気がします。
どうしても、目の前の楽しさにひきづられてしまいがちなんだけど、どうやったらもっと自分を律せるようになるのか、そして、ほんとの「やるべきこと」に向き合えるようになるのか…。
まだまだ課題です。
感情を開放することは苦手だと気づく
マルチタスクが好きで、自分の好きな細かいことを追求してる一方で、
自分を適切に大事にすることって難しい、と感じています。
子どもたちも生まれて、小さくて弱い存在の母親になると、自分の優先順位が下がるし、自分のことで喜んだりする機会も少なくなりました。
そういう機会が単に減った、ということだけじゃなくて、自分のほうでも、
”自分のことで感情を一喜一憂させるのは、母親としてふさわしくない”、と思い込んでいた気がします。
もし、「自分は運がいい」とか、「こんないいことがあった」と素直に喜べず、周囲に合わせようとする傾向があるのなら、自分に起こったラッキーな出来事は、素直に喜び、他の人と分かち合う練習をしてください。(p.191)
自分の感情に正直になって、素直に表現すること。そしてそれを他の人と分かち合う。
これって私の苦手分野です。
変なところですごく先回りをして、「これを言ったら気を悪くさせないかな」って、
いつも考えている気がします。
でも、気遣いがうまくできているかというと、そういうタイプでもないし…。
電気にたとえると、無駄な待機電力とか、電力消費が多い感じ。
感情をうまく表に出すこと、特にうれしいことを伝えることを苦手に感じている結果、窮屈な感じも同時に感じているので、少しずつ開放していければいいのですが。
マルチタスク好きと並んで、これも、手放したい課題です。
モノの持ち方は、心の持ち方だと気づく
いらないものを処分するとき、多くの人は、「邪魔だ、役に立たない、ときめかない」そんなふうに思って捨てますが、物のほうに落ち度はありません。
たまたまその家に同じものがたくさんあったりして、そのものの活躍の場がないだけです。
好ましくない人間関係もこれと同じで、自分との関係において、ある人の特定の行動が、自分のためにならないことがあるのです。
問題は、「関係性」であり、相手の人、そのものではありません。誰かを切り捨てるのではなく、自分にとって好ましくない関係を取り除くのです。
これは自分の成長のために必要なことです。
長いつきあいのあった人と距離をおくことは大きな痛みをともなうかもしれません。
しかし、自分を毒してしまう関係を整理すると、もっと健全で豊かな人間関係が生まれるスペースができるのです。(p.199)
なぜだか私はこれまで、妙な義理堅さを発揮して、
一度、自分で「これは素敵だ」と選んだモノや、「この人と一緒だと成長できそうだ」と思った人から離れていくことは、無責任だと思っていました。
でも、そうじゃないですね。
モノやヒトが悪いんじゃなくて、関係性が問題なんだ。
そうやって考えることは、私が勝手に感じていた罪悪感を軽減させてくれました。
モノや人との関係性を正しく持つことが、自分の元気になる、と気づく
自己実現のために、ミニマルライフやシンプルな暮らしをはじめる人もたくさんいます。
ですが、あまりにも自分の幸せや、自分の心地よさばかり追求すると行き詰まってしまいます。
自分とその周囲の快適さばかりにこだわると、それはそれで不幸です。
なぜなら、この社会は、お互いが助け合って生きる社会だから。
人間は社会的な生きものであり、周囲の人とバランスを取りながら生きています。
人は誰かに親切にできると、強い満足感が得られます。
自分だけの幸せを追求せず、どんなふうにしたら自分を社会に活かせるのか、誰かの役に立つことはできないか、という発想をすると、毎日がもっと楽しくなります。
自分が幸せになりたくて、モノを捨てたり人間関係を整理する、
というよりは、
モノやヒトを生かすために、正しい関係を追求する。
そうやってモノやヒトとの関係を大事にできたら、
それが自分の力になるんだよな~と思いました。
がんばろう、と思いつつ、どこか、ぼんやりとした読後感とともに…
たくさんの気づきと、そして、今すぐには解けない大きな宿題をもらったような気分です。
家の断捨離、片づけは、まるで旅のようで、
今、家の片づけをしている私は旅の途中みたいなものなんだけど、
ただ、片づけるということが課題なのじゃなくて、それと一緒に、
モノとどう付き合うか、人とどう付き合うか、これからどうやって生きていきたいのかを、一緒に考えていくんだろうなあ、きっと…。
(と、納得しつつも、まだ少し読後感のなかで漂ってる感じです。)